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■ パットウルフログビルディングスクールでの体験談 ■
2006/3/24
写真の【おまけ】(ページ最下)追加しました。

 私が、パットのスクールを受講したのは、1999年春の10週間コースでした。

オタワへ

 オタワまでは、大きなバックパックと、オレンジのケースに入れられたチェーンソーを担いで、「カナダの広さを満喫できる」と観光にお勧め?らしいグレイハウンドバスで、バンクーバーから向かいました。 バスのチケットは、日本で航空チケットと一緒に、周遊券のインターナショナル・カナダ・コーチパスを買いました。 バンクーバーからオタワまで、約5,000km。 4日間、朝晩関係なく、走り続ける。 バス停では、乗客の乗降・食事・運転手交代・ガソリン補給が行われる。 日本の高速道路にあるパーキングや、道の駅のような素敵なものではない。犯罪者がどこかに潜んでいそうな怪しい雰囲気だ。 食事の基本は、ハンバーガーとフライドポテト。 大きいバス停に止まった時は、レストランへ行くと、野菜(サラダ)にありつけるといった感じ。飲み物の基本は、コーヒーかコーラなどのポップ。4日以上この生活を続けると、体が悪くなりそうだった。
 延々と変わり映えしない景色の中を走り続け、オタワに到着。 オタワのバス停まで、スクール経営者のパットが直々に迎えに来てくれるという話でした。HPで顔写真は見ていたけど、実物はまた感じが違うかもしれない、と辺りを見回していた。 すると、写真通りのひげ面の中年のおじさんが、声をかけてきた。 「バスで来た日本人の生徒は今までにいない。」と笑われた。 パット運転のシボレーピックアップトラックで40分ほど走って、スクールの宿舎のある町、カールトンプレイスに着きました。

 私がその宿舎(オールドバラック)に到着したのは、スクールが始まる2日前で、同じようにコースを受講する人が数人すでに到着していました。 日本人は私1人だけと申し込んだ時に言われていたので、覚悟はしていたけど、いざその場に置かれると不安で一杯になったが、そんな事も言っていられなかった。
 スクール中の食事は自炊なので、まずは、歩いて行ける近くのガソリンスタンドのコンビニ店へ行って、一通りの食料を購入。 宿舎に戻って少しすると、コーリーをテミンスから送りにきていたお父さんが、今から帰るから、3人で一緒にレストランに夕食を食べに行こうと誘ってくれご馳走になった。そのコーリーは、スクール卒業後、今私が住んでいる所からさほど離れていないログホームカンパニーで数年働いた後、故郷のテミンスにUターンしてログ関係の仕事をしている。

 翌日、自家用車を持っていたアメリカ人のカールが、コーリーと私をその町の中心にあるスーパーまで、買い物に連れて行ってくれた。歩いていけるコンビニは、商品の数が限られているので助かった。 それ以来、車を持っている人が交代で買い出しに連れて行ってくれた。 宿舎からスクールの作業場までも、車で30分かかり、それも、その時に仲良くなった人が乗せて行ってくれた。

スクール始まる

 スクールが始まる。
 初日の朝、カナディアンのケビンが自分の車に乗れ、と声をかけてくれ、ディーンと一緒に乗せてもらってヤードへ行った。 午前中は、スクールのスケジュールや内容の説明の後、コーヒーを飲みながら、ヤードに出張してきた道具屋さんからチェーンソーやスクライバー・のみ・斧などのショッピングタイム。 私は、チェーンソーとスクライバーは、バンクーバーで購入していたので、小物を少し購入しただけだった。 その道具屋さんは、ハスクバーナー50cc程度のチェーンソーを売っていたので、私の持ってきていたスチール044の71ccのチェーンソーはそれに比べるとやけに大きかった。 昼食は、初日という事でパット主催のバーベキュー、昼からは、各々のワークベンチ(作業用の丸太の台)を作り、丸太の輪切りをしながらチェーンソーの試運転をして初日を終えた。 宿舎への帰り道、当然のようにBeer Storeに立ち寄り、皆それぞれのマイビールを購入。(カナダ・オンタリオ州では、通常、アルコール飲料は、Beer Store(ビールのみ)とLCBO(アルコールすべて)で売られている。ただ、今はオールドバラックでの飲酒は禁じられているそうで、ビールを飲むならバーへ行かないといけないみたいです。) そして、その日の夜は大宴会だった。

 宿舎は、1人1部屋で部屋にはベッドと小さな机がある。 台所とシャワー&トイレが共同で、電話は公衆電話。 掃除は週に1回、掃除をする人が来てくれてしてくれるが、基本的には自分達で整理するように、といった感じだ。
 朝は7時に起床。 コーリーとカールとジーンと私の4人分のコーヒーを作る事から1日が始まった。 私が一番に起きるので、自然にそういう事になった。 キッチンが混む前に、朝食のシリアルを食べながら自分の分のランチを作り、着替えて8時すぎにヤードに向け宿舎を出発。 スクールが始まってすぐは、ケビンが彼の車にカナディアンのディーンと私を乗せて行ってくれた。 これは、スクール開始当時のパットが決めたチームだ。 途中、ケビンの朝食のクッキーとダブルシュガーダブルミルクのコーヒーをティムホーティンス(ドーナツショップ)のドライブスルーでゲット、8時半すぎにヤードに到着といった毎日が始まった。

 スクールは9時から始まる。
 初めの1週間、午前中は教室で講義を受け、午後はスクライブとノッチの練習。 午前・午後共、休憩があって、午前中の休憩の分のコーヒーはパットが大きなポットで持ってきてくれた。 これは、私にとってとても重要だった。 天気の悪い日に半日、以前の生徒が建てたログハウスを見学に行った。 3つのログハウスを見に行きました。写真はありません。
 初日に、皆の前で順々に自己紹介。 その時、ファーストネームの Kazuyuki が呼びにくいと、パットがラストネームの Nakanishi から Naka と決め、これは今も引き継がれていて、知らない人はファーストネームを「ナカ」と思っているらしい。 友達も私のファーストネームをすんなり言える人は少なく、今のボスも言えない内の1人。 ちなみに、そのボスも今から25年前、パットのスクールを受講して、その後自営を初め今に至るらしい。 働くようになってから知り、驚いた。

スクール2週目

 無事、1週間が過ぎ、初めての土曜日は、カールとコーリーと3人でカールトンプレイスへランドリーと買出しへ行った。夜はその3人で初めてのバーへ行った。日曜は天気が良く、1人でカールトンプレイスまで散歩に出かけ、川沿いのベンチに座り、ティムホーティンスのコーヒーとドーナツを食してくつろいだ。時間がゆったり流れている町の雰囲気が、とても気持ち良かったのを覚えている。 オンタリオに住んでいる生徒は、週末は家へ帰るので宿舎に残る生徒は半分ぐらいになるが、スクールの間、その一時帰省に連れ回される事になった。

 1週目のワークサイトでのスクライブとノッチの練習も終わり、2週目からビルディングの製作が始まった。 20人程の生徒が3-4人のチームに分けられ、本格的な作業が始まったわけだが、2週目ともなると大分慣れてきて、3週目からは、時々夕食に他の生徒とバーへ行く余裕もでてきた。
 3週目の週末は、キングストン(オタワから車で3時間ほど)のフェリーが行き来する小さな島に住むディーンの家にカールと一緒に訪ねた。その時は土地感がなく、どこに連れて行かれるのかよく理解しておらず、イギリス色の強いアイリッシュパブの多い所だなと思った。それもそのはず、18世紀初期、対アメリカ戦争でイギリスとアメリカが戦った地で、その名残があるようだ。 アイリッシュパブは黒ビールがメインで、肴はフィッシュ&チップスかフレンチフライ、生バンドが演奏していて、いい雰囲気だった。 島内の道路は、外周とその外周を縦断する縦横の道だけで、ファームが主で交差点に家が数軒あるという風景。 どの道路も交差点も同じ景色。 アメリカ人のカールとドライブに出かけたものの、2時間帰って来れなかった。

【まだ始まったばかりの2ラウンド目の1枚。※注 写真は私ではありません。】

スクール4週目

 4週目に入り、建設中のログハウスも形になってきた。この頃になると、出来のいい生徒と悪い生徒がはっきりしてきて、「あいつとは同じチームになりたくねーなー。」という発言もありになってくる。 4週目の最終日、前年の秋の生徒が建てたログハウスをムービングした。 初めて体験するログハウスのムービングで素晴らしく感動した、と言いたいところだが、すーんげー雨と蚊で寒いし痒いし最悪の1日で、感動なんてものとは遠く遠くかけ離れたものだった。 その日一番の感動は、寒い中その家のオーナーが差し入れてくれた、あったかいハンバーガーだった。
 無事、何事もなくムービングが終え、4週コースの生徒(確かでないが7-8人だったと思う)が帰途についた。 その内の1人カナディアンのジョーとは、私の10週コースが終わり次第合流し、彼のログキャビンの建設を手伝う約束をしました。

【4週目の最終日のシッピングの様子。シッピング先でトラックがスタック、現場に入れなかったため、皆でスコップ片手に救援?しているところです。】

【あいにくの雨でしたが、無事に組み立て完了した後に記念撮影しました。右端の黄色いカッパにオレンジのヘルメットがパットウルフ氏、真中の青のジャケットを着ているのが私です。呼ばれて振り向いたらこのざま・・・。】

【シッピング翌日は土曜で休みだったのですが、バラックスに残ってる生徒数人で窓やドアの開口、スプラインの加工をしに再度現場に行きました。写真は、その後カーペンターがルーフを仕上げた後のものです。】

スクール5週目以降

 残り6週間、残った生徒10人で、5段目まで仕上がったログハウスを10段にし、それにトラスやポストなどの付属を完成させ、ムービングさせなくてはならなかった。 作業を効率よく進める為か、それ以降、3/3/2/2人のチームを組まされ、最後までこのチームで作業を進めることになった。 私は、インディアンのジィーンと組まされた。彼はとてもスマートで、作業はスムーズに進んだ。
 人数が減り、体力的にきつくなってきたが、週末は更にきつかった。

 カナディアンのコーリーに、アメリカ人のカール運転の車で、コーリーの家テミンスに行くから一緒に行かないかと誘われ行く事になった。テミンスまではカナダ地図で見ると、オタワからちょっと北西といった感じだが、車で7時間。ちょっとそこまでは通用しない広さだ。
 テミンスでは、コーリーの友達のコテージに行って、大量のビール・ウイスキー・テキーラを飲んだ。 わざわざオンタリオの北の果て近くまで行って、どうしてアルコール漬けになっているのか考えても答えがでないので、ただ飲んだ。 そして3日後、再び野郎3人でピックアップトラックに乗り、7時間の道のりをドライブし、オタワに戻ってきた。
 スクール卒業後も、職業としてログハウス建設に関わっているのは、上記のインディアンのジィーンと、カナディアンのコーリーと私の3人だけだそうだ。

【スクール終盤のヘッダーログの作業風景。ご覧のように、ラダーを使わず、廃材を利用した足場がログ壁の周りに組まれています。】

【この後、ヘッダーログは数人がかりで丁寧にひっくり返して、元の位置に戻しました。手前の車輪のついているのが、ツーホイールポールムーバーといって、これにログを引っ掛けて馬に運ばせます。という事で、馬力人力で建設するログビルディングスクールです。現在は、トラクターを使っているようです。】

【フロアージョイストのスクライブ作業中。ロックノッチを切って、フィットさせます。1人1本ずつだったので、皆真剣。】

スクール最終週

 スクール最終の週、何とか仕上がり、ムービングの日を迎えた。 分解しトラックに積みこみ1日、現場で組みたて1日、窓仕上げ作業に半日、卒業式と卒業パーティーに半日。 2日目の組みたてはスムーズに進み、夜はオーナーによるピザとビールのパーティーだった。 全員滅茶苦茶に酔っ払い、朝起きると親友のジィ−ンの車がへこんでいた。 飲まないダグの指摘で、犯人は酔っ払ったケビンが、彼のお尻でドアにアタックしたらしい。 ジィーンと私はドアの内張りをはずし、修理後遅れて現場に到着したが、10週間のスクールが無事終了するはずの最終日に泣きそうになりながら修理しているジィーンがとてもかわいそうだった。
 無事、作業も終わり、パットの家で卒業パーティーと成績発表! 本来はテストがある予定だったが、時間がなくできなかった(ラッキー!)。 パーティーが終わり、生徒の住所録を渡され、オタワ周辺に住む生徒はそのまま去って行った。 残った数人は宿に残り、次の日に去る事になっていた。 私のその後の予定は、4週間コースを受講し、先に帰宅したジョーのログキャビン建設を手伝う事になっていたので、次の日、ジョーの迎えがあり、トロントに向かった。

【シッピング中。手前のピンクのシャツを着ているのがパット。】

【シッピング完了した1枚。翌日、開口部の加工をして終わりました。】

ログキャビン建設

 ジョーは、先に帰宅してから、自分の仕事の合間に(ログハウスとは全く関係ない)自分のヤードの建てる場所の木を切り倒し、ピーリングをしていたようだった。 滞在は、電気のないヤードに置いたキャンピングトレーラーで、シャワーはタンクに貯めた水で、日中天気が良かったら何とかぬるま湯になり、天気が悪いと水だった。 夏といえど、朝晩は冷える日が多いので、天気の悪い日のシャワーは震えた。 スクールの間に日本から持っていっていた靴がボロボロになってしまい、ジョーがつま先にスチールがはいったくるぶしまである本皮のセーフティーブーツを買ってくれた。これは、カナダでは、外で働く人やアウトドアーの好きな人は大抵持っている靴で、今もこのタイプの靴を作業靴にしています。
 場所は、ハイウェイから少し入った所なので、人はまず来ないし、とても静かな所でした。 彼は、朝から晩まで時間にお構いなく、ずーっと作業をするので、腹が立つ事しばしばだった。(笑) 私のキャビンじゃないので、彼の言う通りにしていれば良かったのだけど、あまりに間違った事を言うと後が大変なので、そうじゃないと説明しても、なかなか聞かないので途中でやめようかと何度も考えたが、結局最後まで手伝った。 彼と険悪なムードになっても、そこを去れなかったのは、彼の両親の存在でした。 彼のヤードの隣りに、彼等のコテージがあったので、週末トロントから訪ねて来た時は、そこに泊まらせてくれて、食事も食べさせてくれた。 飾らない明るく大変仲の良い夫婦で、その時私が唯一くつろげたのが彼等と一緒に過ごしている時間だった。 今も時々訪ねるが、彼等とのトークはやはり落ち着く。
 道具は、ハンドツールと体以外ほとんどなかったので、ログを乗せるのも人力で、その場でカットし、積み上げていく、まるで開拓民のようだった。 ログは、その土地に生えていた小径のホワイドシーダーだったので、テーパーもきつく加工に大変苦労した。森の中だった為、日中でも暗く蚊が多かったが、真夏と言えど涼しかったのが救いだった。
 作業の方は、ジョーが聞かないので、オーナーがOKと言っているという事で、自分的には許せない部分多々ありだったが、14フィート×14フィートの小さなキャビンだったので、2ヶ月ほどで建ちました。

【テーパーのきつい、この土地で育ったイエローシーダーで建てました。】

【ゲーブルエンズも、ログで。】

【屋根のラフターもすべて、このキャビンを建てるために切り倒したログを使いました。】

スクールを終えての感想

 異国の地でのログスクールという事で、他に日本人もいなかったし、最初はどうなるのだろうかと不安だったが、10週間、朝から晩まで他の生徒と一緒に過ごし、ログハウス建設の基本を学べたし、カナダでの普通の生活にも慣れ、意義があったと思う。思いきって受講して良かった。
 ただ、スクールは所詮スクールであって、職業となると、出来て当たり前、与えられた作業を時間内でいかにきれいに仕上げるかに重点が置かれるわけで、スクールのように笑って楽しく家を建てるなんて事は皆無。 ネイティブでもないのに、カナダ人と対等に働くのには、ただ出来るか出来ないかだけ。 出来ればOK、出来なければOUT。 スクールの延長線ではないという事を覚悟していた方がいいと思う。
 スクールで学んだだけで対応できない事がたくさんあり、それはアイデアと経験で乗り切るしかない。 これは、ログビルダーだけでなく、すべての専門職に言える事だと思う。

2005年2月15日

【おまけ】
2006年3月24日追記

屋根がついたジョーのキャビン。ステインを塗る前にはりねずみにログ壁をかじられたと怒っていた。「この土地で育った」皮むきされたイエローシーダー、はりねずみには「ご親切にありがとう!」だったのかも?

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